目次へ戻る

 

島田紳助氏よ「美学」ではなく「微学」ですよ

2011830

宇佐美 保

 長年、テレビ画面に出続けて来られた島田紳助氏に関して次の記事(時事通信824日)を見ます。

 

島田紳助さん、「自分の美学を通した」=謝罪の言葉、悔しさにじませ

 「めちゃめちゃかっこわるい、ぶざまで、最低の終わり方ですが、ほんのちょっとだけ自分の美学を通させてもらいました」。会見した島田紳助さんは時折、謝罪の言葉を口にしながら、自らの引退について淡々と話した。

 問題となった暴力団関係者とは十数年前に友人を介して知り合ったという。当時抱えていた悩みを解決してもらい、「人としての感謝をずっと感じていたが、会ってはいけないと分かっていた。実際に会ったのは5回程度だった」と釈明。「いいかげんな処分では若い後輩たちに示しがつかない」と、自ら引退を申し出た理由を説明した

 1時間弱の会見の中、島田さんが言葉をとぎらせたのは2度ほど。「正直言って後悔してません」と話しながら、目に涙を浮かべる場面もあり、悔しさをにじませた。 

 

 なんだかおかしな記事(会見?)ですね!

私には、日刊スポーツの次の記事がしっくりします。

 

 

紳助さん暴力団交際 作家が語る

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110825-824943.html

 島田さんと暴力団関係者との交際は、これまでも週刊誌などを中心に報じられてきた。芸能人と暴力団関係者との交際は、どのようなものなのだろうか。広域暴力団の実態に詳しく、著書も多いノンフィクション作家の溝口敦氏に聞いた

 

 −島田さんが暴力団関係者Bさんに解決してもらった十数年前のトラブルについて

 

 溝口氏 金銭のやりとりがなかったというのは、ありえるでしょうね。B氏にとっては、トラブル解決に乗り出す直接のメリットはないですが、将来性がある島田紳助という人物を助ければ、長い目で見ていい付き合いができると考えたのでしょう。

 

 −いい付き合いとは具体的に

 

 溝口氏 B氏にとっては大物芸能人に心服されるのは気分がいいことだったはずです。紳助さんも「おれのケツ持ちは誰だと思ってるんだ」とたんかを切ったことがある

 

 −10年間で4〜5回しか会ったことがない薄い付き合いと語ったが

 

 溝口氏 お互い忙しくてそのくらいしか会えないだろうし、何より一緒にいるところを見られてはいけない。ただ、お中元、お歳暮、誕生日などの催しは、年に数多くあり、そのたびに花を贈ったり、金を包んでいるのだと思う。濃い付き合いだったはずだと思います。

 

 

 ここでの“紳助さんも「おれのケツ持ちは誰だと思ってるんだ」とたんかを切ったことがある”は、紳助氏のこれまでの存在は「虎の威を借りた狐」でしかなかったことを暴露しているのです!

 

 私なんかも、電車の中とか見知らぬ人に注意し、逆にからまれたりした際など、“おれのケツ持ちは誰だと思ってるんだ”と啖呵を切れたらどんなに気持ちが良いだろうと思わずには居られません。

でも、瞬間気持ちが良くても、所詮は「虎の威を借りた狐」に成り下がってしまうのです。

 

 頭の回転の速さを売りとしている紳助氏がこんなことに気が付かずに、この十数年間テレビの世界で大きな顔をしていたとは思いたくありません。

 

 でも、そうなんでしょう!?

無意識のうちに、その態度がにじみ出てきてしまうのではありませんか?!

 

 私は、もう随分前から、テレビ(特に民放)は見ていませんので、紳助氏がどんな番組に出ているかも知りません。でも、紳助氏の名前を聞くとすぐ連想するのは、吉本興業の女性社員の態度が気に食わないとかで暴力をふるった事件です。

(事件の詳しい内容は忘れてしまいました)

 

島田紳助司会者と吉本興業に賠償命令 女性社員暴行で1000万円―東京地裁

http://blog.livedoor.jp/video_news/archives/1458786.html

吉本興業所属のタレント島田紳助(本名・長谷川公彦)さん(54)が2004年に同社社員だった女性を殴り、けがをさせた事件をめぐり、女性が島田さんと同社側に損害賠償などを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であり、松田典浩裁判官は約1045万円の支払いを命じた。

 

 判決は、吉本側も使用者として暴力行為の責任を負うと認定した。この事件で、島田さんは傷害罪で罰金30万円の略式命令を受けている。

 

 判決を受け、島田さんは「真摯(しんし)に受け止め、被害者に改めておわび申し上げたい」、吉本興業は「厳粛に受け止め、引き続き防止策に努める」とそれぞれコメントした。 

 

ソース 時事通信

 

 

 そして、デイリースポーツ( 825日)にはこの件に関連して次の記述を見ます。

 

 23日に芸能界からの引退を発表した島田紳助さん(55)が交際していた暴力団関係者が、指定暴力団山口組の“ナンバー4”にあたる「筆頭若頭補佐」だったことが24日、わかった。また、2人を仲介していた「一般人の友人」は、元ボクシング世界王者で、現在は恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中の渡辺二郎被告(56)だったことも明らかになった。同幹部の関係先から、紳助さんの直筆の手紙なども発見されており、「すべて正直にしゃべる」と宣言していた会見の内容とは矛盾する事実が発覚した。

……

 05年から07年ごろ、渡辺被告に宛てたメールには、同幹部が競売入札妨害などの容疑で大阪府警に逮捕されたことを心配し、自分が経営する店で高額の飲食をしてくれたことを感謝する内容があったことも発覚した。

 

 吉本興業の女性社員(当時)に対する暴行事件直後の6年前には、紳助さんから幹部と渡辺被告に向けて「お2人がいるから心強い」というメールを送っている

 

 仲介役の渡辺被告とは旧知の間柄で、99年、渡辺被告が銃刀法違反で逮捕された際には、紳助さんが公判に証人として出廷。情状酌量を訴えた。

 

 更には、次の記事も目にします。

 

04年に、紳助が吉本の女性社員を殴って負傷させた事件の際に励まされ、「ありがとうございます。2人がいるから心強いです」「心の支えになってます」「心はひとつですよね」などというメールをAさんを通じて送ったという。

 

 

 本来なら、この女子社員暴行事件で、紳助氏の言われる「美学」で引退して欲しかったものです。

 

 

 紳助氏よ!

「虎の威を借りてテレビ界を闊歩してきた狐」に、「美学」が存在しますか?!

あるのはせめての「微学」(こんな言葉は存在しないでしょうが)ではありませんか?!

 

 

 それにしても不思議に思う事があります。

紳助氏に対して「テレビ界の大物」への門戸を開いたのは、彼をサンデープロジェクトに抜擢した田原総一郎氏だと存じます。

その田原氏が紳助氏に、何故苦言助言を与えなかったのかが私には不思議なのです。

(それとも助言し指導されておられたのでしょうか?!)

それどころか、十数年前の問題に関して、暴力団関係者を介さず、田原氏が率先して解決に協力すべきだったのでは?!

 

 

 ところが、何と田原氏の御見解は次の通りなのです。

 

@namatahara田原総一朗

http://twitter.com/#!/namatahara/status/106009834557673472

島田紳助さんの引退会見を見た。暴力団と付き合った事が芸能界のルールに反しているから引退すると言うのだが、紳助さんが言う限りでは、こんなのは付き合いとは言えない。彼が芸能人としてのルールを極めて重大に考えた事はさすがだと思うが、これはどうみても付き合いではない

823日モバツイ / www.movatwi.jpから

 

 ここでの記述から、田原氏は、十数年前の紳助氏の事件解決には無関係であったように思われます。

しかし、この十数年前が、紳助氏がサンデープロジェクトの司会を任されていた時期(19904月〜200112月)なのか、その後なのかは新聞記事などでははっきりしません。

自身の問題解決を暴力団関係者に頼ったのなら、サンデープロジェクトの司会者を続けることは問題です。

となりますと、この一件がサンデープロジェクト関係者に知れたか、紳助氏が申告したかによって、司会を降りたのかもしれません。

或いは、司会を降りた後の事件だったのかは分かりません。

 

 ですから、田原氏は、「言葉遊び」して居られるように思えてならないのです。

確かに、田原氏の記述通り(表面的には)“こんなのは付き合いとは言えない”は成立しましょう。

しかし、“こんなのは付き合いとは言えない”と片付けようにも、紳助氏は暴力団関係者と関係を持ったのです、援助を仰いだのです。

紳助氏の司会在任中に、この件が判明したら田原氏は紳助氏を登用し続けましたか!?

 

 

 でも、田原氏に関しても私は気掛かりな点があるのです。

200423日に書いた拙文≪田原総一朗氏の変節≫のつぎの一節です。

(田原氏ご自身も「いわゆる右筋の抗議を受けている」自体に陥ったことがあるのです)

 

 

……国の財政をガタガタにしてしまった責任を、政治家も役人もとるべきです。

この役人政治家達の責任を、田原氏は何故問わないのですか!?

 田原氏は、何故この様に変節してしまったのでしょうか?

この点に関して、私は、一昨年来、大変気になっていることがあります。

それは田原氏の著作中(『聞き出す力:カナリア書房』)の次なる記述に関連することです。

 

 ひとつだけ、ちょっと申し訳なかったなと思うのは、高市早苗さんに対してね。『サンデープロジェクト』(特集「激論! 靖国問題、国立基地建設の是非」〇二・八)の中で、彼女が「昭和の戦争は自存自衛の戦争だった」って言ったから、僕は「冗談じゃない、そんなことはないよ」と言って、その勢いで「あなた下品だ」とやっちゃったのね。これはだから謝りましたよ、次の週の番組で。下品っていうのは、失礼千万な言い方だ。われながら恥ずかしい限りです。

 ただ僕らの世代としてはやっぱり、満州事変、日中戦争、あれが自衛の戦争だっていうのはどうしても認めるわけにいかないということがあったのね。……

『日本の戦争』(小学館刊)を書いた。その本を書くとき世話になった人の中に、日大の秦郁彦教授がいて、彼は僕にこう言った。満州事変は八対二で日本が悪い。日中戦争は七対三で日本が悪い。太平洋戦争は六対四で日本が悪い。それで僕は「秦さん、太平洋戦争は五分五分じゃないんですか」って言ったんだ。そうしたら、負けた分だけ一点減点だって言うわけ。

 僕はこの秦さんの説明が、自分の感覚、思いといちばん近い。満州事変は少なくとも自存自衛の戦争じゃない。……

 高市さんの発言がきっかけで、民族派の人々と二度、長時間の討論をやった。徹底討論だね。考え方は平行線だったけど、気持ちはお互いに通じて、最後は握手、握手でした

 

 

 この最後の部分での「高市さんの発言がきっかけで、民族派の人々と二度、長時間の討論をやった」の件は、同じ拙文から以下を抜粋します。

 

 

……

佐高信氏の次の記述(素晴らしいので『週間金曜日』のホームページから全文を転載させて頂きます)を御一読頂きたく存じます。……

いまは亡き弁護士の遠藤誠と、山口組組長の渡辺勝則とのやりとりを思い出した。

 暴力団対策法の弁護を遠藤に頼んだら、左翼の遠藤では山口組が左傾してしまうと、よけいな知恵を渡辺につける人間が現れた。

 それで、渡辺が遠藤に尋ねる。

「いま、左と右を分けるポイントは何なんですか」

 そう問われて遠藤は、

「中国との戦争を侵略と認めるかどうかでしょう」

 と答えた。すると渡辺は、

「そりゃ、他人の縄張りに入るのは侵略ですよ」

 と明快に返し、それで山口組が左と言われるなら言われてもいい、と言ったとか。

 これを小林よしのりや、この間、「サンデープロジェクト」で田原総一朗に“下品”と痛罵された高市早苗はどう考えるのか。

 どうせ、ヤクザの親分の発言じゃないか、と切り捨てるのだろうか。

 下品発言で、田原はいま、いわゆる右筋の抗議を受けている。街宣車が田原の住むマンションや、テレビ朝日に何度も押しかけたらしいが、……

 

 

 この「右筋の抗議」に対して田原氏が行った「民族派の人々と二度、長時間の討論」のセッティングは、田原氏ご自身、テレビ局等、暴力団関係社以外の方のご尽力なのでしょうか?

 だとしたら、当然、紳助氏の場合も田原氏ご自身、テレビ局等が力を貸していて然るべきです。

 更には、先の引用文の「徹底討論だね。考え方は平行線だったけど、気持ちはお互いに通じて、最後は握手、握手でした」はまるで、「手打ち式」の場面を連想してしまいます。

となりますと、この場のセッティングは紳助氏、そして彼の関係筋のご尽力の結果と思えてなりません。

 何しろ田原氏はジャーナリストなのですからこのような「徹底討論だね。考え方は平行線だったけど」の貴重な場面は当然ビデオに残されていなくてはなりません。

 

 次のビートたけし氏の対処法(デイリースポーツオンライン:2011年8月28日)を田原氏はどう思われるのでしょうか!?

…… また、自身(ビートたけし氏)にも以前、暴力団関係者から「会ってみたい」とアプローチがあったことを告白。仕事を理由に避けていたが避けきれなくなり、雑誌の対談として公に対面することで黒い交際に発展することを避けた“対処法”を語っていた。

 

 

  私は、「講談社に仲間と一緒に殴り込み」をかけたり、「原発安全神話の片棒」を担いだりするビートたけし氏を好きになれませんが、この件に関しては感服いたしております。

 

(補足)2011.9.10

ビートたけし氏に関して、『週刊文春(2011.811/18号)』に次のような記事が載って居りました。

 

…… 昭和62117日は冷え込む夜だった、と芸能ジャーナリス二田一比古氏は記憶している。

同氏は六本木の高級クラブの前で、−人の男が出てくるのを静かに待っていた。

 

 北野武 − 当時は芸人、ビートたけしとしてテレビ界を席巻していたが、一月半ほど前に愛人報道を巡って、「フライデー」編集部に殴り込み、傘や消火器で編集部員五人にケガを負わせて、謹慎中の身であった。

 しかもこの日一は書類送検決定の夜。復帰間近を匂わすように、たけしはまず、別の店でテレビ局の人間と打ち合わせ、八時半過ぎにクラブに入った。

……

 十一時過ぎ、地下の階段からラフなセーター婆のたけしが現れた。変装道具の類はない。カメラマンが立て続けにフラッシュを焚いた。

「なんだよ! テメーラ」 たけしの方から二田氏に勢いよく近づき、いきなり胸ぐらを掴みあげた。今にも殴りかからんばかりの勢いだったが、すぐさま後ろにいた某局のプロデューサーが間に入った。それでもたけしは肩越しに、険しい視線を寄こし、こうまくしたてた。

 「俺がどこで飲もうと、店のホステスを口説こうと自由だろう!」

 謹慎中の後ろめたさからか、さらに言葉はエスカレートする。

 「あんたらは○○組相手でも、こういう取材できるのか。何なら呼んできてやろうか!

 さすがにまずいと思ったのか、プロデューサーがたけしを押さえにかかる。冷静さを取り戻したたけしは、それでも言葉を続けた。……

 殴りこみ事件はいつの間にか、マスコミの脳裏からも消えてしまったかのようだ。



目次へ戻る